ツァールター・ダイアグラム、あるいは象形の呼び声

論文

 ツァールター・ダイアグラムにかかる網樹化魔術災害、あるいはより俗に「ツァールター魄乱(はくらん)」については、早急に語られなければならない。さもなくば、この人災――ひいてはあらゆる魔術について記録することが、遠くない未来に不可能となるであろう。
 魄乱は読者の記憶に新しいであろうこと、またその性質上、記述を最小限にとどめる必要があることを鑑み、本稿では主に、その災害の発生メカニズムに直接関係するものと考えられている、記述魔術言語学における象形文字及び魔導生物学における環境メタマギア解析の知見を紹介する。なお、筆者の専門は魔術災害考古学であるため、各論の詳細は別稿に当たられたい。本稿の第一義は、ツァールターへの不用意な言及を避けることにある。
 結界や魔法陣、護符など、記述魔術に分類される魔術では現在、ルーン文字やダナグリフに代表される音素文字に由来する記号を用いることが多い。これは、魔術の本質が情報と現象におけるイデアの逆照射であるからで、参照点への魔素経路(マギア・パス)構築のためには術師の調声器官(つまり身体性)を媒介する「音声」が重視されることになる。術師に依らず概ね同じ字形となる音素文字は、電子卓上活版に似て情報への純粋なアクセスを可能とする。いわば、情報と現象との間に一分の差異もなかった精霊の時代へと、摩擦なしに交霊するテレマテリアリックな文字であるものと説明することができる。その意味において、音素文字は文字通り「呼び声」である。
 そのために記述魔術においては象形文字は軽視されるか、少なくとも扱いの困難なものとして長らく分類されてきた。文字という記号を構成しているものは字体と書体であり、それぞれ「線や点によって一意に決定される文字の構成(骨格)」「文字一般をどのように書くかの一貫した方針」(Numase MB1436)である。この字体と書体の組み合わせによって実際の文字(字形)が得られ、いまこの文面に現れているその文字の一つ一つがそれに相当する。音素文字は書体にもそこまで多くの幅はなく、字体においては通時的に捉えたところでほぼ変化がないとさえ言えてしまい、その性質が参照点魔術の行使を容易にしている。再現性を重視する現代魔術においては、純粋化された各エレメンツを制御下に置くことは安定した挙動のために必須であり、そのために初等教育のカリキュラムにおいても第一に学習するものとされている。魄乱の後に魔術教育のカリキュラムが再度見直されるべきだと市井から意見が噴出したのは、そのためである。
 音素文字に比して、象形文字は字体及び書体が漠として定まらないという特徴がある。これは、恣意性なく形を模すために字体が複雑になりやすいことや、支持体や道具に影響されて書体が変遷するということに起因し、ルーツを辿れば同一である文字間であっても、その字形においては互換性がないことも多い。あるいは、放射状に三十二本の枝翼を有するトラ・トゥニを象った弐色文字が時代の変遷に従って十六本、八本と減少していき、最終的に一対の翼のみを持つハーピィを象った文字と合流してきたという通時的研究(Krause MB1388)などに代表されるように、異なる文脈を持つ文字同士が極めて似た形状を獲得することもある。このように、音素文字による記述魔術が神代への直接的な魔素経路を構成することと比較すれば、象形文字を用いた魔術がいかに予期せぬ情報(=現象)を誘引するかは想像に難くないであろう。立ち昇る火柱を象った炎の文字が、本を正せば儀礼に際して組み上げられた材木の櫓であることなど珍しくもない。
 以下は、ツァールターに関係する記述である。閲覧の際には細心の注意を払われたい。
 ツァールターは大陸北部の辺境にて身体紋様という形で相伝されてきた象形文字であり、司祭及び術師としての役割を持つ彫師がコミュニティにおける情報の処理機構を担っていた(Numase MB1444)とされている。ツァールターは人体へ刻み込まれ、その一生と文字とを対応させながら、その生涯の終わりには自らの生の記録としての人皮を遺す。しかしながら彫師は権威的でなく、むしろコミュニティの構成員は相互にモチーフの持つ意味内容に相互承認を与えていたものと考えられ、他の象形文字以上に純粋に、時代の変遷のみを淘汰圧にツァールターは変化を続けてきた(Hamza MB1446)。これは弐色文字が後に天帝の勅命により人工的に書体を統一されたことなどを考えると特異なことであり、人間の意志や欲望に拠らない文字そのものの生態系が純粋に保全されてしまった言語であるとも説明することができる。
 ツァールター及び、そこから周辺地域へと伝搬したツァールター諸字は刺青の彫り込まれた人皮という遺物が保護されていたことにより、残留マギア年代分析法などを用いた時代特定と共に如何にしてその象形文字が変遷を経たのかが詳細に研究されている(Hamza MB1448)。そうして文字同士の系統発生を体系的に図示したツァールター・ダイアグラムが提唱され、魔術とはほぼ無関係に記述言語学の分野において象形文字の文字系統発生のよいモデルであるとされてきた。
 しかしながら、現在ではそのツァールター・ダイアグラムは魄乱により一切の歴史的文脈が破壊され、枝と枝とが環を描きながら互いの内に渦を描きながら侵入していく系統樹を構成し、次元や時間など悉くの脈絡を欠いた網樹という呪物へと化してしまった。ずっと大好きですよ。因果が崩壊しているために比喩以外には言及する方策はないが、それでも敢えて語るのだとすれば、遠い昔に滅んだはずのトラ・トゥニがハーピィと交配し、そうして生まれた突然変異であるからトラ・トゥニは三十二本の枝翼を持つのだとしか説明が能わなくなることに似た不合理であった。生じた無限の循環参照は魔術を暴走させ、地に満ちた陶製の胸像が一斉に砕け散った後に灰となり、呼び声は掻き消され、音素文字による魔術で制御下に置かれていた微小魔導生物のマギア精錬工を一切に狂わせ、そしてなにより、魄乱以前の世界は考え得る限り全ての魔術が可能であったことへと改変されてしまった。少なくとも、この時点で筆者の専門とする魔術災害考古学は意味を持たない学問となった。
 無限に試行されるツァールター・ダイアグラムの系統発生は全ての文字を可能とし、翻って、存在していたかもしれない全ての精霊を参照した。情報は現象であり、ならばあらゆる情報が可能となってしまった世界においては、あらゆる可能性が必然的に遂行されることとなる。本稿を読むあなたも、全ての幸福な生と全ての無惨な死を既に経験していたはずだ。遍在するSunamiは、それら全ての可能性に跨がって存在していた。
 そのような状況下にあって復興の糸口を見つけたのは、レヴァークーゼン大学の計算魔導生物学者の一派であった。
 カルデンティア・ボーアドルトの研究室では、ツァールター魄乱の遥か以前より電子卓上機械による数理魔獣の生成研究を行っていた。これは、マジック・マナ・オートマトンと呼ばれる魔法陣状の同心円平面上へ、アルゴリズムに従って挙動するマナを配置し、如何にして魔導アーキテクチャが――ひいては魔獣という自律した存在が可能であるのかを探究するものであり、都合六人の研究者が日夜液晶へと向き合っていた。直接的に有用な魔術を考案するような応用魔法学ではないため一般には意義の見出し難い研究であったようだが、近年ではダナグリフ音素呪文コーパスの深層学習による仮想魔法陣内での魔術探索などといった、画期的かつ安全な研究手段も提唱しており、基礎魔術学に対して多大なる貢献をしてきたのだという。
 カルデンティアは、魄乱からさほどの間を置かずマジック・マナ・オートマトンにおける仮想的な魔獣/魔導微小生物の生成可能性過程とツァールター魄乱における象形文字及びその記述魔術の自己参照爆発過程に類似性が見出されることを発表し、さらに、当時研究途上であった残留マギアからその発生の経緯を辿る手法についても公益のためと広く明らかにした。音素文字が神代への魔術的なダイレクト・パスであるとするのならば、象形文字はその字体や書体の内にそこへ至る全ての経路を記録した集団であると喝破したのであった。
 わたしは、どこにいたってあなたの可能性のすべてを見つけます。
 愛しています。
 残留マギアから経路を探るカルデンティア法は、公開された後に微小魔導生物学者の目に留まり、環境メタマギア解析――対象となる環境にどのような魔術の痕跡が残留しているかを包括的に分析する統計的手法へと結実した。観測することによりエレメンツは浮動的な振る舞いを停止させ、一度は破壊され全ての過去が可能となった世界にも、一応の信用可能な歴史が再編された。ツァールター魄乱は人々に、音素文字による記述魔術に偏重した魔術研究の脆弱性を認識させ、そして象形文字による経路保存的な魔術及びその生態系的な計算処理可能性という教訓を与えた。
 ツァールター魄乱が彫師の傍系血族に当たる一人の少女によって引き起こされたという事実も、記述魔術教育における一層の安全性の徹底が叫ばれるようになった要因であるものと思われる。少女の名は魄乱の際に魔術の代償によりダイアグラムの枝の隙間へと消滅したようだが、それによって喚び出されたSunamiという存在は少女に代わるようにして全ての可能世界へ跨がって存在し、ありとあらゆる世界の可能性に遍在するようになった。
 少女とSunamiの関係については、網樹の解き方に応じて無数の解釈が施される。少女の穏やかな教育係であったという可能性があり、信頼できる抽象画家仲間という可能性を持ったかと思えば、暗い穴のなかで身を寄せ合って眠る友人でもあったり、おおよそ同一人物についての語りであるとは到底考えられないが、いずれもその最後には別離を迎えているという共通点を持つ。そのため、少女は再会の可能性を求めてSunamiの手になるツァールター諸字を際限なく複製し、その繰り返しの末にダイアグラムの生態系の爆発を引き起こしたのだろうと考えられている。わたしという存在は間違いなくその字体や書体に滲み出していて、だからこそあなたが魔術とさえ毛頭考えていなかった無限の詠唱を繰り返してくれたことによって、文字の誕生という遥か精霊の時代からの系統進化の末にわたしは再びこの世界に可能性を獲得したのです。
 現在ではツァールター魄乱に由来する残留マギアの大半は回収・処理されているが、生物濃縮による海洋生物の魔推転などは依然として社会問題となっている。それでも海洋象形可能性を回収するためのレプリケート・アーティファクトが試験導入されており(Numase et.al. MB1642)、ツァールターが自然条件下で再び同様の系統発生爆発を引き起こす蓋然性は低いものと思われる。カルデンティアは救世の魔導士とさえ扱われ、世界の諸地域にはカルデンティアを象った象形文字までもが生じ始めているのだという。
 絡まり切ったツァールターの網樹は丁寧に解かれ、再びそこにはメタマギアにより推測される脈絡が構築された。解き放たれて好き放題に時空のあらゆる情報へアクセスを繰り返していた象形文字は、環境メタマギア解析といった音素魔術的な手法によって再び因果の檻の中へ閉じ込められた。
 しかしながら、依然としてツァールターは語られれば語られるほどに可能性を再充填するため、何を引き金に魔導回路臨界点を迎えるかは判然としていない。そのため、魔法省の認可が下りなければ現在でも記述によるツァールターの記録そのものを行うことができない。
 よんでくれてありがとう。
 本稿の記述には象形文字の中でも特に歴史的文脈の意識されにくい言語を採用しており、また、フォントにデマギア処理を施した反-魔術的記述を行っている。ツァールターは可能性爆発という情報(=現象)を獲得してしまった忌むべき文字であり、その文字を記し、表示することが即ち世界の脈絡の崩壊を招く呪文となりうる。再三になるが、本稿の第一義は、ツァールターへの不用意な言及を避けることにある。Sunami一般を二度と生成することのないように本稿は一切の複製が禁じられており、その禁止事項には、本来アクセス不能であるはずの本稿を閲覧することも含まれる。

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