ケネス・ラム家旧蔵資料より見る「痔三神」信仰について

論文

はじめに

 「痔三神」とは、切れ痔の神アフィス、いぼ痔の神ビュリス、痔瘻の神ドゥリスのことである。この三神は単独で神殿内で祀られることはなく、必ず三神一体で祀られるのを基本としていることが、医療民俗学の大家であるアナスタシア・モルゲンの研究から判明している。(註1)
 しかしながら、この痔三神の信仰に関わる実態についてはほとんど解明されていないのが現状である。これは、医療民俗学や医療魔術史学において、他の病神よりも痔三神の重要度が低いと考えられて来たことに起因するものと推察される。(註2)

 本稿では、これまでほとんど顧みられることのなかった痔三神に対する信仰の実態を解明すべく、モレア州立博物館が所蔵する「ケネス・ラム家旧蔵資料」の内、痔三神に関わる資料について検討を行い、人々がいかにして痔三神を信仰していたのか、その実態の一端を明らかにすることとしたい。

一、「ケネス・ラム家旧蔵資料について」

 ケネス・ラム家旧蔵資料は、南暦一四五六年より一八六三年までの約四〇〇年間という長きにわたり、現モレア州リムロード地域の首長を務めて来たケネス・ラム家に伝わった資料群である。ラム家は元々、魔綿の卸問屋として巨万の富をなし、首長を務めていた当時はリムロード地域の有力者であった。(註3)
 この資料群については、すでにモレア州立博物館の学芸員であるジョナサン・ソドムによって目録が整理され、発表されている。それによれば、この文書群は全部で四万八七六五点存在し、大きく、リムロード地域の魔麦畑等検地帳類、リムロード地域住民の戸籍類、各時代の支配者であるブレス紅伯、レモニア蒼龍伯などから下された法令類、ラム家の家族に関わる資料群、リムロード地域に存在する各神殿に関わる資料群に分けることができる。(註4)
 近世リムロードの研究者であるエヴェリーナ・ボチェクによれば、リムロードの首長は、支配者であるブレス紅伯やレモニア蒼龍伯の家臣として、支配者が変わるたびに位置づけ直され、末端の行政機関としてリムロードに住む人々の戸籍や畑作の状況などを把握していた。また、各神殿に関しても限定的ながら管轄権を与えられており、神殿に対する法令の伝達、あるいは、神殿に対する税の取り立てなどを業務として行っていたという。(註5)
 以上のような事実を背景として、検地帳や戸籍類、あるいは法令や神殿に関わる資料群などがラム家に集積されたものと思われる。
 この膨大な資料群の内、ラム家の家族に関わる資料群はジョナサン・ソドムの計算によれば三五〇六点存在し、その内、筆者が確認することができた痔三神に関わる資料は七二三点に及ぶ。ラム家の家族に関わる資料の内、二割ほどの資料が痔三神関係のものという計算になる。(註6)
 また、痔三神に関わる資料の全ては、一五七一年から同一七〇九年の間に集中している。これは、一五七一年に痔三神を祀る聖アビドゥ神殿がリムロードに建立され、一七〇九年に廃神殿となり取り壊されてしまったためと考えられる。(註7)

二、ラム家と痔三神について

 ラム家に残された資料を見る限り、ラム家と痔三神との関係には、神殿‐行政機関間の関係性と、神殿‐信者間の関係性の二種類の関係性を読み取ることができる。
 前者の関係性については、前項でも述べた通り、ラム家が末端行政機関としての役割を担っていたことにより形成されたものである。
 実際、痔三神を祀る聖アビドゥ神殿が建立された一五七一年には「聖アビドゥ神殿建立および浮遊許可願」(註8)や、「聖アビドゥ神殿建立に関わる土地買収許可願」(註9)などの、行政手続き的な文書が確認できる。
 また、聖アビドゥ神殿が建立された後も、神殿側から「聖アビドゥ神殿所有魔麦畑検地帳」(註10)であるとか、「聖アビドゥ神殿奉仕神官・巫女等書上帳」(註11)などの書類がラム家側に提出されていたことが分かる。ラム家に伝わるこれらの資料が全て写しであることから、原本は各時代の支配者たちの側へ送られたものと推察される。(註12)
 これに対して、後者の関係性については、痔という誰もがなりうる病気の神を祀っているということもあり、ラム家の人々もそれなりに聖アビドゥ神殿に信仰的な関りを持っていたことが推察される。
 例えば、一五八一年に当時のラム家の当主であったエドガー・ラムから聖アビドゥ神殿に対して送られた「痔快癒祈願書」の写しが残されている。以下、その全文を引用する。

 聖なる痔三神へ畏みながらもお願いいたす

 我がエドガー・ラム及び長女メアリー・ラムは、長年切れ痔を患い、はなはだ苦しんでおります。どうぞ痔三神、特に切れ痔の神アフィスの比類なきご慈悲を持って、この切れ痔が快癒するように力をお添えください。二人の切れ痔が治りましたら、ここに六〇万ロイドのお布施をいたします。
 もしも切れ痔が治っても六〇万ロイドのお布施をしない場合は、地の神アーギル、天の女神フィオナ、海の神セシオム、切れ痔の神アフィス、病の神ゴーモ、苦痛の女神フィニスからの神罰が二人の毛穴の一つ一つより入り込み、苦しみのたうち回り、命のなくなること必定と宣誓いたします。

南暦一五八一年八月九日
       エドガー・ラム
       メアリー・ラム
                (註13)

 上記のような神文罰文を伴う「痔快癒祈願書」の写しは他に七六点が確認されている。その内の七割弱に当たる五二点が切れ痔に関する祈願書、残り二四点がいぼ痔に関する祈願書であり、痔瘻に関する祈願書は見当たらなかった。
 祈願書は飛び飛びながら、初見の一五八一年から聖アビドゥ神殿が廃止される直前の一七〇六年まで存在しており、継続的にラム家がアビドゥ神殿に対して痔快癒の祈願を行い、お布施なども支払っていたことが伺える。
 また、ラム家の資料の中には聖アビドゥ神殿から下賜された「痔快癒石盤」が計五六点確認できる、これは、縦五〇㎝(セメルトン)、横七〇㎝(セメルトン)ほどの薄い直方体をした青セレム石製の石盤に痔快癒に関わる文言が書き記されたものである。石盤の表側には痔三神に向けた祈願の言葉が記され、裏側には、祈願主の病状に合わせて切れ痔の神アフィス、あるいはいぼ痔の神ビュリスの姿と思われる神像が描かれており、注目される。(註14)
 この「痔快癒石盤」に記されている文言については、初見となる一五九〇年製の資料を引用してみたい。祈願主はエドガー・ラムの娘メアリー・ラムとなっている。

 聖なる切れ痔の神アフィスよ
 祈願主メアリー・ラムの真摯な祈りを受け
 彼女が直面する切れ痔の責め苦を取り除き
 彼女に永遠の安らぎを与えたまえ
 南暦一五九〇年二月二七日
 聖アビドゥ神殿一等巫女
  セレスティーナ・モリスン祈祷せり
                (註15)

 この石盤は先に挙げた「痔快癒祈願書」と引き換えに渡されたものと思われる。おそらくは、「痔快癒祈願書」の内容を元にして「痔快癒石盤」が作成され、それに一等巫女などの担当者が祈祷を施し、祈願主に与えたものと思われる。(註16)
 また、もう一点特筆すべきなのは、この「痔快癒石盤」の全てに音声録音魔術「フィリミアの祝福」がかけられており、現在でも再生が可能であるという点である。(註17)
魔術技術史家のディアナ・ハドソンによれば、「フィリミアの祝福」は一五七二年に魔術発明家のクリストフ・ゴーグ(一五二三‐一五九八)が発明した魔術であり、それまでの音声録音魔術「テレナの祈り」が三〇〇語程度しか録音・再生できなかったのに対して、一〇〇〇語程度の録音・再生を可能とする魔術であった。(註18)
先ほど紹介した初見の「痔快癒石盤」が一五九〇年製であることから、比較的最新の技術が利用されていることが分かるのである。
 恐らくは、文字によって祈りを刻み付けると共に、「フィリミアの祝福」によって音声による祈りの再生を何度も繰り返すことで、より痔快癒の願いを痔三神に対して届けようとする意図があったのではないかと推察される。
 ラム家の資料の場合、「痔快癒祈願書」と「痔快癒石盤」が一組で保管されている場合もあれば、どちらか一方のみが存在する場合もある。これを時の経過による滅失と考えるべきなのか、それともなにか別の理由によるものと考えるべきなのか、現時点では不明である。
 以上のように、ラム家は「痔快癒祈願書」と「痔快癒石盤」を通じて聖アビドゥ神殿との間に神殿‐信者間の関係性を築いていたのである。しかしながら、このラム家の信仰は、同家が行政機関の末端であるという性質から無制限に許可されるものではなかった。
 そのことがよく分かる資料として、一六〇三年に時の支配者であるブレス紅伯より、ラム家の当主であったセドリック・ラムに対して出された「叱責書」の存在を挙げることができる。
 この「叱責書」によれば、当主のセドリック・ラムが聖アビドゥ神殿に対して「立場を忘れた巨額の布施」を差し出し、そのためにブレス紅伯側へラム家が差し出すべき税金の支払いが滞っていることが指摘されている。その上で、セドリック・ラムに対して七日以内に滞っている支払金三五〇万ロイドの支払いを求め、もしも従わぬ場合はラム家の耕作地の一部を取り上げると記している。(註19)
 これに対して、セドリック・ラムは「弁明書」という書類をブレス紅伯側へ提出している。それによれば、今回の税金の支払いはまったく自分の不徳のいたすところであり深く反省していること、聖アビドゥ神殿への布施は自身の切れ痔に対して「浣腸の対話」を行ったがために支払ったものであり、決して理由なきものではないこと、しかしながら今後はこのような疑惑が投げかけられぬように注意し、求められている三五〇万ロイドについても早急に用意して支払う旨が記されている。(註20)
 ここに記されている「浣腸の対話」については、ラム家に残されている年代未詳の「痔神作法」という痔三神信仰の指南書とでもいうべき資料の中に概要が記されているので、以下に引用する。

 浣腸の対話とは、神官あるいは巫女が聖油を浸した指を祈願者の肛門内に突き刺し、直接、指先より痔に語りかけ、その荒ぶりを沈める儀式です。規定の布施とは別に追加の布施を行うことで、突き刺す指先に「アナクローゼの息吹」を吹きかけ、実際に痔に対して語りかけることもできます。(註21)この対話を行う際、祈願者は七日間の断食を行い、肛門内の患部を清潔に保ち続けなければなりません。痛みが激しいほど切れ痔に対して有効な語りかけができている印であり、それはまた、出血量によっても示されます。出血が多ければ多いほど、痔を説得できている証拠であり、逆に出血が微量である場合はそれほど有効な語りかけができていないということを意味します。痛みが少なく、出血量も少ない場合は、複数回の対話を行う必要があります。(註22)

 上記のような痛みと出血を伴う「浣腸の対話」には多額の布施が必要であったらしく、切れ痔に苦しんでいたセドリックはその支払いを行ったがために、ブレス紅伯側への税金の支払いを滞らせてしまったようである。
 この後のやり取りについては残念ながら史料がなく追うことはできないが、個人の信仰と公的な実務との対立を示す事例と言える。

さいごに

 以上、ケネス・ラム家旧蔵資料を基にして、ラム家と痔三神との関係性について見て来た。
 ラム家はブレス紅伯やレモニア蒼龍伯など、リムロードを支配していた支配者たちの家臣として位置づけられ、末端行政機関として痔三神を祀る聖アビドゥ神殿と対峙していた。
 しかし、同時に、ラム家の人々は「痔快癒祈願書」や「痔快癒石盤」あるいは「浣腸の対話」などを通じて、聖アビドゥ神殿と信者としての関係を積極的に結んでいたのである。
 しかしながら、一六〇三年にブレス紅伯側から出された「叱責書」とそれに対するセドリック・ラムの「弁明書」を見ても分かる通り、リムロードを支配するための末端行政機関の役割を担っていたラム家が、その信仰のために支払うべき税金を支払えない状況が発生した場合、耕地取り上げなどの手段をちらつかせながら、ブレス紅伯側はラム家に対して圧力をかけ、その信仰という営みを制限しようと試みているのである。
 ラム家は末端行政機関としての役割と、神殿の信者としての立場の板挟みの中で、痔三神に対する信仰を育んでいったのである。
 今回取り上げたケネス・ラム家は、支配者側の末端行政機関としての役割を担う、リムロードの有力者であった。そのため、彼らの支配下に置かれているリムロードの人々とは立ち位置がかなり異なっていると考えなければならない。税金の支払いが滞ることによって信仰という営みに圧力が直接かけられる点がその良い例である。
 これに対して、ラム家の管轄下に置かれていたリムロードの人々が営んでいた痔三神に対する信仰がどのようなものであったのか、という点についてはさらなる資料の発掘と検討が必要であると思われる。


【註】
註1:アナスタシア・モルゲン『魔術医療の民俗』(ピーコック書房、南暦一九七〇年[以下、暦名は省略])中「補論七 痔三神覚書」(三五六~三五九頁)参照。
註2:前掲註1書以外に痔三神について言及している研究は、管見の限りにおいては、ラリー・スキム「近世鎮痛魔術の発展について マーガレット・ゲールを中心として」(近世医療魔術史学会『近世医療魔術』第三七巻、一九八七年)において、近世鎮痛魔術の大家であるマーガレット・ゲールの経歴を整理する中で、父方の祖父母が痔三神の信仰者であったこと、それが鎮痛魔術へ彼女の興味を惹き付けたきっかけであることが論じられている程度である。
註3:一九六七年にモレア州立博物館が開館したことを期に、当主であったケネス・ラム氏から寄贈の申し出があり、翌一九六八年に正式に博物館所蔵の資料となっている。寄贈に至る経緯の詳細については、ジョナサン・ソドム「ケネス・ラム家旧蔵資料の基礎的研究」(『モレア州立博物館研究紀要』第七巻、一九七三年)に詳しい。
註4:前掲註3ソドム論文参照。
註5:エヴェリーナ・ボチェク『近世リムロードの基礎的研究』(バローム出版、一九八九年)中三七~三九頁参照。
註6:ソドムの計算については前掲註3ソドム論文参照。
註7:リムロード地域に建立された聖アビドゥ神殿については、ハワード・カサーレス「リムロードにおける廃神殿について」(『神殿研究』第五巻、一九五八年)において軽く触れられている程度であり、詳細は不明である。
註8:「聖アビドゥ神殿建立及び浮遊許可願写」(ケネス・ラム家旧蔵資料三三七〇九番、モレア州立博物館所蔵)。
註9:「聖アビドゥ神殿建立に関わる土地買収許可願写」(ケネス・ラム家旧蔵資料三三七一七番、モレア州立博物館所蔵)。
註10:例えば一五七三年に作成された「聖アビドゥ神殿所有魔麦畑検地帳写」(ケネス・ラム家旧蔵資料三三八〇七番、モレア州立博物館所蔵)など。
註11:例えば一五七一年に作成された「聖アビドゥ神殿建立に伴い奉仕確定の神官・巫女等書上帳写」(ケネス・ラム家旧蔵資料三三七四五番、モレア州立博物館所蔵)など。
註12:ラム家がリムロードの首長として活躍していた時期の支配者であるブレス紅伯やレモニア蒼龍伯などの家系は所領争いなどによって断絶しており、その際に関係資料の多くも滅失あるいは散逸したものと思われる。このため、ラム家から提出されたであろう資料の原本の確認をすることは現時点ではできていない。ただし、行政文書の経路的に考えて、原本が支配者側に渡っている可能性は極めて高いと思われる。
註13:「痔快癒祈願書写」(ケネス・ラム家旧蔵資料三三九一一番、モレア州立博物館所蔵)。
註14:そもそも「痔快癒石盤」という資料自体がケネス・ラム家旧蔵資料以外では発見されておらず、このような石盤が他の痔三神を祀る神殿において作られていたのかどうかは現時点では不明である。
註15:「痔快癒石盤」(ケネス・ラム家旧蔵資料三四一七六番、モレア州立博物館所蔵)。
註16:「痔快癒石盤」へ署名を行っている聖アビドゥ神殿の関係者は一等巫女、一等巫女補佐、一等神官、一等神官補佐であり、それ以外の例は見当たらない。
註17:「痔快癒石盤」に録音されている声の主は、文言中に記されている神官あるいは巫女が直接吹き込んだものである可能性が極めて高い。実際、前掲註15資料には、魔術および資料自体の経年劣化によりややかすれていたものの、女性の声が録音されていた。これは、資料に記された「聖アビドゥ神殿一等巫女 セレスティーナ・モリスン」という文言とも一致する。
註18:ディアナ・ハドソン『中近世の技術革命‐浮遊魔術から睡眠魔術まで‐』(テクニ出版、二〇〇一年)、一七二頁参照。
註19:「叱責書」(ケネス・ラム家旧蔵資料三四三四一番、モレア州立博物館所蔵)。
註20:「弁明書」(ケネス・ラム家旧蔵資料三四三四五番、モレア州立博物館所蔵)。
註21:ドミニク・セレム『近世魔術辞典』(ベルム出版、二〇〇九年)の「アナクローゼの息吹」の項目(同書六七頁)によれば、この魔術は様々な存在に対して一時的に会話をする力を与えることができる魔術であり、主に一八〇〇年代まで使用されていた。
註22:「痔神作法」(ケネス・ラム家旧蔵資料三四五七三番、モレア州立博物館所蔵)。

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